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【第6章】全国的な天然ガス転換(第1回)

あらまし

 

日本の都市ガス事業の原料は石炭・石油でしたが、戦後の都市ガス需要の高まりによって、熱量が高くて、大気汚染の少ない天然ガスにする機運が高まりました。

 

東京ガスをはじめ各ガス事業者は次々にLNGを輸入し、全国で天然ガス転換事業を進めました。

 

この天然ガス転換にはいろいろなメリットがありましたが、生ガス中にCOを含まない天然ガス供給により、都市ガスの保安レベルも格段に向上しました。

 

 

1.全国的な天然ガス転換の概要

 

明治の初期に始まった日本の都市ガス事業ですが、昭和20年代後半に石油が使われ始めるまで、約85年間、その原料は石炭でした。

 

東京ガスの都市ガス需要家数は、第2次世界大戦前には、約200万件以上に達していましたが、戦争により都市ガスも壊滅的な影響を受け、一時は戦前の約1/3程度まで、需要家数が激減しました。

 

しかし、戦後の復興と、高度経済成長により、都市ガスの需要家数は昭和30(1955)年には、約250万件と戦前以上の状態になりました。

 

その後も年率10数%の勢いで需要家数が増加し、5年後の昭和35(1960)年には約450万件まで急増したのです。
そのため、急増する需要家数に対して、都市ガスの製造設備、供給設備を増強する必要に迫られました。

 

 

一方、そのころから、高度経済成長に伴う大気汚染問題も、世の中で大きく取り上げられはじめました。そのような状況に対応するため、昭和30年代に入り、都市ガスの原料に、熱量が高くて、大気汚染への影響が少ない、石油系が加わるようになりました。

 

 

さらに、昭和30年代後半に、東京ガスでは都市ガスの熱量をこれまでの3600kcal/㎥から、5000kcal/㎥へカロリーアップを行う、熱量変更事業を実施し、増え続けるガスの需要に対応しました。

 

東京ガスなど大手都市ガス事業者では、著しく増加する需要家対応、大気汚染対応の抜本策として、昭和30年代前半から、将来を見すえて、LNG(液化天然ガス)の導入の検討を進めていました。
その結果昭和44(1969)年に東京ガスが日本で最初にLNGを輸入し、都市ガス原料として使用を開始しました。

 

 

さらに、東京ガスでは、昭和47(1972)年から、急増するガス販売量への製造設備、供給設備の対応、大気汚染抜本対策として、5000kcal/㎥から11000kcal/㎥への天然ガス転換事業を始めたのです。

 

 

大都市圏の大手都市ガス事業者は同様に、大阪ガスは昭和50(1975)年から、東邦ガスは昭和53(1978)年から、西部ガスでは平成元(1989)年から、天然ガス転換事業を開始しました。

 

 

なお、東京ガスの天然ガス事業は、開始から17年後の昭和63(1988)年に、約515万件の需要家に対しての転換を終え、事業を完了しています。

 

このような状況を受け、平成2(1990)年、当時の通商産業省は、こういった大手都市ガス事業者の天然ガス転換事業の進展にともなって取り残されてしまった低カロリーガスを扱うガス事業者のために、「IGF(Integrated Gas Family)21計画」という計画を提案しました。

 

 

この提案は、すべての都市ガス事業者が、平成22(2010)ごろまでに11000kcal程度の高カロリーガス(13A)への移行を完了するよう、業界を挙げて取り組むべきであるという内容です。

 

それを受け、日本ガス協会が中心となり、全国の都市ガス事業者、ガス機器メーカーなどが「IGF21計画」を推進し、平成22(2010)年には、全ての都市ガス事業者が高カロリーガス(13A)となりました。

 

 

天然ガス転換のメリット

 

この天然ガス転換には、さまざまなメリットがありますが、「ガス機器の保安」という面から見たメリットは主に2点あります。

 

 

一つは都市ガスに含まれているCOはゼロのため、都市ガス漏洩によるCO中毒の発生及び自殺行為による事故がゼロになったことです。
もう一つはこれまで潜在的にあった、ガス機器・給排気設備の不備によるCO中毒事故の発生原因をクリアにすることができたということです。

 

この事業を実施する際には、ガス事業者の作業員は、対象需要家の所有するガス機器の状態を事前に調査し、天然ガス転換時には、全てのガス機器の給排気設備が正常に機能するようよう事前に調整するなど、一連の作業により、ガス機器の安全確認が実施できたのです。

 

その結果、東京ガスの天然ガス転換が終了する昭和62(1987)年ごろからは都市ガスのCO中毒事故はあまり発生しなくなりました。

 

また、大手都市ガス事業者の天然ガス転換事業がほぼ完了した、平成7(1995)年ごろからはガス機器の不完全燃焼に伴う、排ガスCO中毒重大事故の年間発生件数は、5件以下となりました。
さらには、全国の都市ガス事業者が参画して実施された「IGF21計画」 が終了した平成22(2010)年以降は、都市ガスの排ガスCO中毒事故などによる重大ガス事故の発生件数は、年間ほとんどゼロとなりました。 

 

この様に、全国の都市ガス事業者全ての天然ガス転換による、ガス機器の保安への影響、そして効果には絶大なものがありました

 

 

2. 大手都市ガス事業者の天然ガス転換

 

①東京ガスの天然ガス転換

 

昭和30年代の東京ガスの状況

 

東京ガスの需要家数は、昭和13(1938)年に100万件に到達し、第二次世界大戦前は106万件でした。
大戦後の需要家数は、1/3の37万件に激減し、ガス製造工場、ガス供給導管網も壊滅的な状況になり、大きな被害を受けました。

 

東京ガス社員はもちろん、関係者の昼夜を問わない努力により、昭和30(19555)年には、ようやく、戦前とほぼ同じ、約100万件までに復旧しました。

 

その後、高度経済成長の波に乗り、需要家数は毎年十数%、十数万件ずつ増えていき、昭和36(1962)年には戦前のほぼ2倍の、約200万件となり、さらに加速が進み、昭和41(1966)年には300万件を突破し、増え続けていたのです。

 

 

前述の通り、東京ガスでは、急増する需要家数に対応するため、都市ガス製造量の倍増、都市ガスを供給する導管網の整備拡大など大きな課題でした。

 

このころ日本は高度経済成長期であり大気汚染問題が、クローズアップされてきた時期でもありました。このような背景から、東京ガスとしてはLNG(液化天然ガス)の輸入を決断したのです。

 

LNGは、気体の天然ガスを現地で液化して、外国から船で輸送します。日本に到着後、再気化し、都市ガスとして利用します。
気化した天然ガスは、メタン(CH4)が主成分で、今までの石炭ガス、石油系ガスと較べて、熱量が10000Kcal/㎥程度と高い上に、大気汚染物質が相対的に低く、都市ガス原料としてはベストのものでした。

 

 

天然ガス転換の実施

 

昭和30年代の前半から、東京ガスでは、安西副社長(当時)を中心に、LNG(液化天然ガス)の導入を検討し始めました。
その後、幾多の困難を乗り越え、昭和42(1967)年にLNG導入契約が締結されました。そして昭和44(1969)年に、アメリカのアラスカから、日本で最初のLNGが、専用船で東京ガス根岸工場に輸入されたのです。(右図参照)

 

天然ガス転換のため、東京ガスでは全社をあげて、袖ケ浦新工場の建設、天然ガス環状幹線の敷設、全ての需要家のガス機器を天然ガス仕様にするといったことを進めました。
昭和48(1973)年には袖ケ浦新工場が、昭和51(1976)年には、天然ガス環状幹線が完成し稼働し始めたのです。

 

昭和47(1972)年に始められた、天然ガス転換器具調整業務、いわゆる天然ガス熱量変更業務は、その後,17年経過し、昭和63(1988)年に、約515万件の需要家全てのガス機器の調整を行って終了しました。

 

 

具体的な天然ガス転換業務の内容

 

天然ガス転換を各需要家先で行うためには、5000Kcal/㎥用になっている各需要家のガス機器を11000Kcal/㎥の天然ガス用に変えなければなりませんでした。
東京ガスでは、転換作業の2年前から、家庭用、業務用、工業用の各機種、約数千種のガス機器の調整法を総合研究所で燃焼試験をして決定しました。

 

その後、各機種別に調整手順を決め、それらを全て収めた調整マニュアルを作りました。(右図参照)

 

それに合わせて、各機器の調整用部品も各機器メーカーに発注しました。
さらに並行して実際に各家庭で機器を調整する作業者の教育訓練を作業マニュアルを作ってトレーニングセンターで実施したのです。

 

 

この様に、天然ガスへの転換を始めるには、まず機器調整の準備に膨大な時間がかかったのです。各需要家先のすべてのガス機器を天然ガス用に転換するための作業は以下のような流れで行いました。

 

 

①天然ガス転換作業の約1年前に、天然ガス転換をする地域を決めます。
1か所の天然ガス転換作業は、1サイクルにつき2~3日を要するので、場所と期間について、1サイクルごとに年間計画を立てます。(下図参照)

 

 

②転換作業日の数か月前までに対象家庭のガス機器のすべての状況を調査マニュアルを使用して調査します。それを基に調整部品を発注します。
その部品は転換作業の数日前までに、各家庭に事前配送されます。

 

③転換当日の機器調整には、専門の機器調整作業者が対象となる需要家を訪問し、すべてのガス機器を調整して、安全に天然ガスが使えるよう点検します。

 

熱量変更作業の当日には、対象需要家の全てのガス機器を天然ガスで使えるように調整を行い、最後に天然ガスによる燃焼テスト等を行い、安全点検を実施してから天然ガスに変更します。

 

天然ガスへの転換が終わった需要家のガス機器は、完全に正常になっているのです。
「ガス機器の保安」という面からみると、天然ガス転換のための熱量変更作業は、各家庭の保安のチェックと正常化を確認することと同じことにつながるのです。

 

 

②東京ガス以外の大手都市ガス事業者の天然ガス転換

 

東京ガス以外の大手都市ガス事業者も、置かれた状況は東京ガスと同じだったので、東京ガスに引き続き、各社とも天然ガス転換を始めました。

 

大阪ガスは昭和50(1975)年に天然ガス転換をはじめ、平成2(1990)年に終わりました。

 

東邦ガスでは、昭和53(1978)年に天然ガス転換を開始し、平成5(1993)年に終えています。
西部ガスは、平成元(1989)年に始めて、平成17(2005)年に終わっています。

 

 

 

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