2.既存ガス機器に対する改善策
事故の再発防止策の基本は「ハード対策」ですが、すぐにしなければならないのは、徹底した「ソフト対策」です。
都市ガス事業者は、再発防止のための安全周知を徹底しようと、全国的に特別巡回を実施しました。ガス機器の給排気設備に不備がある需要家には個別に各ガス事業者が改善を要請したり、具体的に改善工事を指導したりして、潜在的な事故予備軍を減らしていきました。
(1)CO中毒事故対策の対象と具体的な改善
対応策
①対象となる機種別対応策
- ・風呂釜、大型湯沸器の給排気設備対策
- ・小型湯沸器の換気対策
- ・開放型ストーブの換気対策
(スケレトン型ストーブ、赤外線ストーブなど)
②給排気設備不良の改善のための要請・施工
風呂釜の歴史的な背景から排気筒設備の良くない件数は、当時の読売新聞の記事では全国で約50万件あり、これがCO中毒の予備軍と考えられました。このため、全国の都市ガス事業者はそれらの顧客を個別に訪問し、給排気設備の改善を要請しました。
しかし、現実には、必要性が理解されないとか、改善費用が高いとかで使用者からの理解が得られず、なかなか改善が進まないのが現実でした。
ガス事業法に基づき、政府が使用者に向けて強制的な改善を勧告したこともありましたが、うまくいきませんでした。
改善勧告では、使用者は動かず、まさしく都市ガス事業者による
地道な周知活動に結果が求められたのです。
特に、首都圏の東京ガス管内には給排気設備の不備な需要家が集中していたので、それを減らすには抜本的な作戦が必要でした。
風呂釜の製造、販売、現場施工の状況を見ると、ガス機器本体を設置するときに、排気筒の重要性がわからないまま普及してしまったため、東京ガス管内では、給排気設備の不備が昭和20年代後半~40年代にかけて多くありました。ガス事業法に基づいて、昭和50(1975)年に調査点検をしたところ、当時の東京ガス管内の需要家数約500万件のうち、設備の良くない家庭が約34万件あると推定されました。
このため、対象需要家に対して、特別巡回を行い、改善の要請を繰り返し行いました。その際、当時の村上社長は「ガス中毒事故」をなくすのは、都市ガス事業者だけではなく、「建設事業者」「ガス機器メーカー」「都市ガス事業者」の三者間でおこなうべき仕事なのだから、専門の会社を設立して、対応するよう指示したのです。
そのため、昭和51(1976)年8月に「都市ガス中毒事故」をなくすための専門会社「東京給排気設備」(その後トーセツに社名変更)という会社が設立され、活動が開始されました。この会社の株主は東京ガスのほか清水建設、鹿島建設、三菱地所、錢高組、三菱電機、日立製作所など東京ガスと関係のある大手の企業でした。
実際の運営は東京ガスが主体だったのですが、新たな専門会社としてはこの関係業界との連携が必要だったのです。
この業界間の連携は、設備不備を作らない、新しい流れを作り出したのです。従来、建物が先行して施工され、ガス機器の設置があとからになるため、給排気設備不備が生まれたのですが、関係業界との協議の結果、新規に建築物を施工する場合、あらかじめ、設計段階で、建物とガス設備・機器とが設計段階で計画、協議し、ガス機器の給排気設備や建物内の換気とかが合理的に決められるという、ビルトインという理想的な建築システムの思想につながったのです。
ガス機器を建築設備の一部として位置づけ、ガス事故問題の改善を関係業界に働きかけた村上社長の経営判断は的確でした。
専門会社として、対象家庭別に集中して対応し、毎年、10万件もの改善をした結果、10数年後にようやく改善すべき対象が減ってきました。逆算すると34万件とみていた風呂釜、湯沸器の不良給排気設備は、実際は約130万件あったことになります。
その後も改善または新しい機器に取り替えられることで、都市ガス事故の予備軍はなくなり、事故は減少しました。
専門会社を設立しての対策の実施は、既設の不備対策だけでなく、ガス機器と建築の一体化という、今後のあるべき姿をも示してくれたものであり、極めて前向きの思想につながったのでした。
この時から、建設業界、ガス機器メーカー団体、都市ガス事業者の連携が始まり、建物の設計時点にガス設備・機器がくみこまれてゆきました。
これで社会システムとしても、建物内へのガス機器や設備のビルトイン化が進み、さらに住環境のグレードアップなどで発展的にライフバリューも進化していったのです。
いわば、この時代がきっかけになって、今日に至る、ガス機器の近代化への道が開けたと言えましょう。
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