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【第4章】ガス機器の事故多発時代(第1回)(昭和30(1955)~50(1975)年代)

1.昭和30~50年代のガス機器事故

 

 この時期は戦後の復旧直後の混沌とした時代と、その名残の時代でした。

日本経済の高度成長に伴ってガス機器も急激に増えていった時期です。

その反面、ガス機器周辺の整備が遅れていたり、風呂釜・大型湯沸器の給排気設備が改善されていないという背景があり、事故・トラブルが多発しました。

当時の状況を振り返り、事故の内容と原因を調査し、その背景となる問題点を分析していきます。

①都市ガス事故の内容・原因・分析

 

 都市ガス事故の発生数のうち、昭和31(1956)年~平成29(2017)年までのCO中毒事故、爆発事故等による死亡者数の推移は図-1のとおりです。

 

 

 

 

 都市ガス事業保安の歴史から見ると、昭和30年~50年代はガス機器の事故が最も多発した時代でした。

 

このころは、人命、財産を損なうガス事故が多かったため、新聞、テレビ等マスコミに報道されて大きな社会問題となっていました。

 

当時の事故発生の背景や原因は何だったのでしょうか。

 

 まずこの時代は、戦災から復興、そして朝鮮戦争の動乱からの特需景気を経て、日本の経済が急成長し、いろいろな商品が売れていた時代背景がありました。

しかし、経済が急成長しても、都市ガスを使用する環境としては、次のような問題がありました。

日本の住宅は、もともとは木造で気密性が低いため、ガス機器の給気や排気の処理は、自然の換気による環境で対応していました。

 

 

 しかし、経済の成長とともに建築物が鉄筋系の共同住宅などに変わり、自然換気による、給排気処理が困難な環境になっていました。

ガス機器を使用するための、給排気設備などは旧型設備が多く残っていて、ガス機器の使用環境が良いとは言えない状態だったのです。

一般的には、住宅など建物の建設が先行し、建物ができてから、後付けのガス機器を設置しようとするため、適切な給排気設備の設置ができず、不備設備が増加する要因にもなっていました。

 

 

 こうした、ガス機器の設置状況や安全な使い方の知識が足りないなどの事情が、事故の背景にありました。

 

 

事故の種類

ガス事故を大別すると、次の通りとなります。

 

  1. 1.ガス栓、接続具などからの生ガス漏洩によるCO中毒事故
  2.   ・旧型ガス栓・旧型ゴム管など接続部関連からの漏れが原因のCO中毒事故

     

  3. 2.自損行為による故意の生ガス放出による事故
  4.   ・ゴム管切断、旧型ガス栓開放によるCO中毒事故

      ・原料が石炭ガスの時代はCO中毒が主であり、天然ガス転換後は室内に充満したガスへの引火による爆発事故

     

  5. 3.排気ガスの処理不備によるCO中毒事故
  6.   ・ガス風呂釜、大型湯沸器の排気設備不良による不完全燃焼が原因のCO中毒事故

      ・室内で使用する小型湯沸器、ガスストーブなどの換気不良による不完全燃焼が原因のCO中毒事故

     

  7. 4.ガス機器使用時の火災事故
  8.   ・コンロなどで調理中に放置したため加熱しての火災事故

       着物など可燃物に着火する火災事故

       てんぷら類調理中の火災事故

      ・排気筒型風呂釜の使用時に風呂浴槽内の水がなくなり、空焚きの加熱による火災事故

 

 

【「CO中毒事故」の原因と背景について】

 

 

 CO中毒とは、ガス機器使用時に給気、排気が不完全なため、COガスが室内に充満し、これが人体の血液中のヘモグロビンと結合し、酸素欠乏により、人命を損なう事故です。

当時、特に多かったのが、ガス風呂釜・大型湯沸器の排気筒がなしの場合、あっても排気筒が不備だったために、結果として室内の酸素濃度が不足し、不完全燃焼で排気ガス中にCOが発生して死亡する事故でした。

 さらに、小形湯沸器やガスストーブを締め切った室内で使っていて、換気不良による不完全燃焼でCOが発生して中毒となる事故もありました。

 

➁発生年代別の傾向

昭和30年代

 このころの都市ガスは、石炭ガスや石油の熱分解ガスが主流であり、可燃性成分として、一酸化炭素ガス(CO)が含まれていたため、使用者の不注意などでガスが漏れ、中毒事故につながることがありました。

ガス管が古くなっていて、古いガス栓を操作した時、ガス漏れやゴム管が外れることなどによってもガス漏れ中毒事故は起きました。

 

 

 また、当時は、自損行為の手段として、ガス自殺を図る人達がいました。

故意にガス栓を開放してガス自殺をはかると、本人はもとより、マンションなど建物内が中毒事故や爆発事故に巻き込まれることがありました。

こうした都市ガス成分中のCOを減らすため、昭和35(1960)年頃、各社の製造過程で「COコンバーター」と呼ばれるCOと水蒸気に反応させて、COをCO2と水素に変化させる装置を導入してCO成分を減らす対策が行われました。

 また、東京ガスでは、昭和37(1962)年、全需要家約200万件に熱量変更(3600Kcal/m3から11000Kcal/m3)作業が実施されました。

同時に、各家庭を訪問して、使われているすべてのガス機器を点検・調整しました。

これによって、まだ需要家が少ない時代ではありましたが、一時的には図―2のように生ガスの中毒事故が少なくなったのです。

 

 

 

 このころから、日本の家屋は木造系住宅が主流だった時代から鉄筋系の建物に変化してきました。

昭和30(1955)年に設立された日本住宅公団が建てた共同住宅は、生活環境を大きく変えました。

2部屋または3部屋の住宅に浴室が付き、キッチンにはテーブルコンロと流し、さらに小型湯沸器がついている構造なのですが、風呂釜や小形湯沸器、テーブルコンロは居住者が購入することになっていました。

当時としてはモダン住宅といわれたこの様式が民間の賃貸・分譲住宅などの共同住宅の全国的なモデルになっていたのです。

 

 浴室の風呂釜は、当時市販されていた通称CF型といわれた排気筒型風呂釜でした。

風呂釜自体は居住者が購入するのですが、排気設備は、家主である個人や日本住宅公団側が設置するものでした。

当時のこうした住宅設備は、風呂釜排気筒の設置基準に合致しないものがあり、不完全だったのでCO中毒が発生したのです。

民間住宅の戸建住宅や共同住宅でも、同じような事故が起きていました。

 

 また、小形湯沸器を気密性の高い住宅で長時間使うと、換気不良によるCO中毒が発生することがありました。

この対策として都市ガス事業者等関係者は、小形湯沸器の安全使用に関する周知を徹底して行いました。

 

 

 風呂釜対策として、日本住宅公団は、日本ガス協会との共同研究で画期的なバランス型風呂釜を開発しました。

 バランス型とは、密閉した機器を同じ位置で給気・排気の設備をすれば、燃焼による排気ガスの上昇力で機器の内部で排気処理され、室内の空気を使わず、すべて屋外の空気を使って、機器の燃焼を行うことができる仕組みなのです。

昭和40(1965)年以降の建設分からは、安全な風呂釜が設置されるようになりました。

この住宅公団方式は全国的なモデル住宅となり、他の公営住宅や民間の共同住宅にも採用されるようになり、事故防止に大きな貢献をしました。

 

 

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