1.ガス灯に始まったガス機器の歴史
3.黎明期のガス機器メーカーの状況
黎明期のガス機器メーカーは、外国の情報を参考にしてガス機器を製造する、小規模での少量生産体制でした。
都市ガス事業者としては、都市ガスを使用する手段としてガス機器がなければ普及が図れないのですが、戦前・戦後の状態では、都市ガス事業者は、都市ガスを供給する設備の安全面を重視していたため、ガス消費機器の分野についての安全は、ガス機器メーカーや使用者側にお任せにして深く関与していなかったようです。
そのため、当初の小規模レベルでの製造体制では、安全などの品質確保面や大量生産体制などが対応できない状態でした。
当時のガス機器メーカーは、ガス機器本体の機能に関する認識が低く、大事な排気処理部分の設備については、外部の排気筒設置業者の取り扱う分野とみなしていた感がありました。
特に問題となる、ガス風呂釜、大型湯沸器に関しては、機器本体、排気筒、排気トップが一体となって、機能が発揮されることになっているのですが、ガス燃焼と排気の問題などが理解されず、ガス機器本体のみの製造技術が主となっていました。
このため、ガス機器販売と関連した排気筒、排気トップの販売・流通は別ルートで、安全面が考慮されない仕組みとなり、しかも排気筒設置は小規模店レベルの業務範囲であったため、需要家先のガス機器の給排気設備不備の需要家数が増えていきました。
また、建物の建設過程では、ガス機器は建築設備の一部なのですが、建築業界の仕組みでは、建物ができてから、ガス機器を取付けるという後付けの仕事になるため、排気処理が組み込まれない構造体になっていたのです。
都市ガス事業者としては、ガス機器本体の販売流通には関わりましたが、風呂釜、大型湯沸器の排気設備の分野は、当時の排気筒設置業者(煙突業者といわれた人たち)にお任せの分野であったため、CO中毒事故につながる排気設備不備需要家が増えたのです。
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