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【第3章】ガス機器の黎明期(第1回)

ガス灯に始まったガス機器の歴史

①−1 明治時代

明治初期、黎明期のガス機器は、輸入された「ガス灯」(図-1:ガス灯)がほとんどでしたが、一部で輸入品のガスコンロ、ガスオーブンなどが使われていました。国産のものは、炭を燃料とする七輪の代わりとして、鋳物製の「ガス七輪」だけでした。

明治20(1887)年に東京電燈会社の「電灯」が登場し、都市ガスの主力機器である「ガス灯」との競合が激しくなっていきました。

 

明治後期から大正初期にかけて「ガス灯」の普及はピークを迎え、その後のガス機器は照明用としての「ガス灯」から、加熱用機器の熱源として都市ガスを使う用途に普及・拡大していきました。

当初、都市ガス用の加熱機器は、そのほとんどが海外からの輸入で占められ、高価だったせいもあり、利用者は一部の富裕層に限られていました。(図-2:大隈重信邸台所)

 

最初に海外から輸入されたのは、各家庭で使われている厨房(台所)機器で、大部分の家庭では、煮炊きやコメの炊飯用に使われていたのは、薪、石炭などを燃料とする「七輪」、「かまど」だったのです。

 

明治35(1902)年に、日本初のガス器具の特許品として、本格的な純国産のガス機器「ガスかまど」(図-3:ガスかまど)が製造、販売されるようになりました。

 

日本には昔から、入浴するという習慣がありますが、欧米ではその習慣はなく、シャワーが主体です。したがって、欧米には風呂釜というのは存在していません。したがって、ガス風呂釜は日本独自の発展を遂げました。

日本の風呂の歴史は古く、全国各地には、多くの温泉があり、建物内での浴室利用、寺社での沐浴などの入浴習慣から、日本人には独特の風呂文化がありました。

江戸時代の「風呂」から、いかに日本人がガス風呂釜を使うようになったのかを以下で見ていきます。

 

ガス風呂釜が誕生するまで

 火事の多い江戸の町は防火のために内風呂は基本的に禁止されていました。地方の裕福な農家(自作農)には内風呂がありましたが、江戸では、内風呂は上級武家屋敷に限られていたのです。庶民はもっぱら湯屋(銭湯)通いであり、武家や商人も利用していました。

江戸時代から、内風呂の型は大井川を挟んで東側(江戸・関東以北)は鉄砲風呂、西側(上方、大阪・関西以西)は、五右衛門風呂(長州風呂ともいう)が主なものでした。(図-4:鉄炮風呂・五右衛門風呂)

 

明治になっても、内風呂を持っている家は少なく、上流階級や裕福な農家・商人に限られていました。また江戸時代から、内風呂は湯殿として、便所とともに離れにおかれていました。

この内風呂の熱源を、薪・石炭から都市ガスに変え、焚口にガスバーナーを入れて風呂を沸かすという、日本独特のガス機器を販売したのが東京瓦斯です。明治40(1907)年、東京瓦斯が世界で初めて「ガス風呂釜」を販売しました。

 

湯沸器・暖房機器の歴史

 このように日本には昔から風呂の文化がありましたが、湯沸器の文化はありませんでした。日本で湯沸器が登場したのは、輸入された飲茶用の貯蔵湯沸器が最初でした。国産品は明治37(1904)年頃に洗面用として瞬間湯沸器が製造・販売されたのが最初です。

本における暖房には、古くから炬燵、火鉢、囲炉裏などがありましたが、明治時代になると部屋全体を暖める薪ストーブ、暖炉などが使われるようになってきました。ガスストーブは、このころに初めて英国製のスケレトンガスストーブが輸入され使われるようになりました。

 

(注)図は「都市ガスはどのようにして安全になったのか? −ガス機器保安の歴史と近代化への道−」 

(株式会社カナリアコニュニケーションズ発行)より転載 

 

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