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【第2章】都市ガス事業と保安の歴史(第4回その2)

3.都市ガス事業の推移と保安

③ 高度経済成長とガス事故多発の時代へ

昭和31(1956)年には経済白書が、「もはや戦後ではない」と

宣言しました。昭和39(1964)年から昭和48(1973)年の

9年間は、年平均10%以上経済が成長したのです。それにつれて、人々の所得も増え、消費意欲が爆発的に増えてゆきました。

 昭和30(1955)年から昭和48(1973)年までの高度経済成長を支えたのは、高い教育水準の若くて安い労働力、余剰農業労働者や炭鉱離職者など、多くの求職者層の活用でした。

 また、輸出に有利な固定相場制(1ドル360円)、石油などの安い原料、安定した投資資金も後押ししました。さらに、所得倍増計画などによって消費意欲が広がり、物がどんどん売れたことなどが推進力となったのです。

 高度経済成長による国民の所得向上で都市ガスの需要も増加し、家電機器と同様にガス機器も良く売れました。一方、ガス機器の設置環境や、換気不足での長時間使用などの習慣は以前のままだったので、都市ガスによるCO中毒事故が多発するという事態が起きていました。

 そこでガス事故を減らすため都市ガス業界が中心となり、通産省(現在の経済産業省)ほかの関係官庁、消費者団体、マスコミなどの協力を得て徹底的な再発防止の戦略・戦術を策定し、安全化を促進したのです。

 

 高度成長の波に乗って、さらに都市ガスの需要が増え続けたため、都市ガスの原料には、原油、LPG(液化石油ガス)、石油系のナフサなどからできたガスが混在していました。このため、全国の都市ガス事業者毎に供給熱量や成分が違い、需要家が転居したりすると不便なことがありました。

 全国の都市ガス事業者は、製造原料の違いにより13種類に分類されたガスグループの中からガスの種類を選んで供給していました。

 

 また、昭和20年代後半から、都市ガス導管が敷設されていない地域では、地点供給方式として、液化石油ガス(LPガス)を鋼鉄製容器(ボンベと呼称)に詰めて販売するLPガス販売会社が増えてきました。

 LPガスは石油精製工程で副産物として生まれたもので液化石油ガス(通称プロパンガス)といわれました。

 こうして高度成長期に入った日本のエネルギー需要は爆発的に増え、LPガスの需要も増えていきましたが、安全対策が遅れていたため、各地でガス漏れによる爆発事故が起きていました。このため、LPガス業界では、都市ガスに先立ってガス漏れ警報器が普及していきました。

 

 昭和44(1969)年東京ガスでは、高度経済成長で増え続ける都市ガス需要と増えてきた大気汚染などの環境問題の解決策として、石炭や石油系のガスから液化天然ガス(LNG)に原料を切り変え、導入を開始しました。また、輸送供給量の増加に対応するため、高圧導管を敷設する工事なども始まりました。

 石油価格の3割高といわれた時代に、将来を見越してLNG導入という決断したことは、社会から快挙といわれました。

 東京ガスの天然ガス化に大阪ガス、東邦ガスも続き、さらに全国の都市ガス事業者にも広がりました。

都市ガスを天然ガスにするためには、天然ガス転換という作業に長い期間がかかりました。

 おかげで全国に13種類あったガスグループは1種類に統一され、都市ガス業界全体の合理化、安全化につながったのです。

 

この間、都市ガス需要家数も益々増えて、昭和40(1965)年には686万件、昭和45(1970)年には1千万件を超えるまでになりました。ところが昭和48(1973)年、第4次中東戦争の影響で突然石油がストップするという「オイルショック」が起きました。

原料だった石油価格が暴騰し、都市ガス事業も大きな影響を受けたのです。

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