• トップ
  • 【第2章】都市ガス事業と保安の歴史(第3回その2)

【第2章】都市ガス事業と保安の歴史(第3回その2)

3.都市ガス事業の推移と保安

① 明治・大正・昭和初期~戦前の都市ガス事業の推移

 

昭和初期〜終戦

 

第1次世界大戦の物価高騰や関東大震災を乗り越えて、都市ガスの需要は順調に増えました。

 

都市ガスの需要家数は、昭和10(1935)年には10年前の約3倍、200万件へと伸びました。ところが、昭和16(1941)年、またもや世界を巻き込む戦争が起きました。第2次世界大戦です。

 

日本では昭和15(1940)年には、日独伊三国同盟に日本は調印し、昭和16(1941)年12月8日、日本の連合艦隊はハワイの真珠湾を攻撃しついに太平洋戦争に突入しました。

戦時物資の供給基地となった第1次世界大戦とは違い、物資統制令がしかれ、家庭用都市ガスの構成人員別割り当てや都市ガスしよう極力節減の指令など、次々と経済が統制されて行きました。
すでに昭和14(1939)年には、鉄鋼などの戦時物資の統制により、ガス機器の製造もできなくなっていたのです。

 

さらに戦争が進むと、原料の不足から、需要家は過去の実績から使える都市ガスの量をきめられ、それを超えると次ぎの月からその分を減らされるというような厳しい統制になっていきました。

戦争が激しくなるにつれて、統制はますます厳しくなり、電気事業と同じく、ガス事業者も全国8ブロックに統合されようとしていました。しかし、この件は敗戦のため成立しませんでした。

 

昭和19(1944)年には東京ガスも軍需会社に指定され、日本国中が軍需工場化した感がありました。

昭和20(1945)年には広島・長崎に原子爆弾が投下され、8月15日には無条件降伏を受け入れ、都市ガス事業者が統合される前に敗戦を迎えました。

 

戦争は終わりましたが、日本全体が壊滅状態となり、都市ガス施設もほとんど破壊されてしまいました。そのため全国の都市ガス需要家数は、昭和16(1941)年の236万件の40%にあたる90万件になってしまいました。

 

東京ガスでは、昭和20(1945)年の需要家数は約34万件と、昭和18(1943)年末に最高だった106万件の30%に過ぎませんでした。

 

>「都市ガスはどのようにして安全になったのか?の要約」一覧ページへ戻る