০天然ガス転換の実施 東京ガスの需要家数は、昭和 13(1938)年に100 万件に到達し、第二次世界大 戦前は106万件でした。 大戦後の需要家数は、1/3の 37万件に激減し、ガス製造 工場、ガス供給導管網も壊滅 的な状況になり、大きな被害 を受けました。 東京ガス社員はもちろん、 関係者の昼夜を問わない努力により、昭和30(1955)年には、ようや く、戦前とほぼ同じ、約100万件までに復旧しました。 その後、高度経済成長の波に乗り、需要家数は毎年十数%、十数万件ずつ 増えていき、昭和36(1962)年には戦前のほぼ2倍の、約200万 件となり、さらに加速が進み、昭和41(1966)年には300万件を 突破し、増え続けていたのです。 前述の通り、東京ガスでは、急増する需要家数に対応するため、都市ガス 製造量の倍増、都市ガスを供給する導管網の整備拡大など大きな課題で した。 このころ日本は高度経済成長期であり大気汚染問題が、クローズアップ されてきた時期でもありました。このような背景から、東京ガスとしては LNG(液化天然ガス)の輸入を決断したのです。 LNGは、気体の天然ガスを現地で液化して、外国から船で輸送します。 日本に到着後、再気化し、都市ガスとして利用します。 気化した天然ガスは、メタン(CH4)が主成分で、今までの石炭ガス、 石油系ガスと較べて、熱量が10000Kcal/㎥程度と高い上に、大 気汚染物質が相対的に低く、都市ガス原料としてはベストのものでした。 昭和30年代の前半から、東京ガスでは、安西副社長(当時)を中心に、 LNG(液化天然ガス)の導入を検討し始めました。 その後、幾多の困難を乗り越え、昭和42(1967)年にLNG導入契 約が締結されました。そして昭和44(1969)年に、アメリカのアラ スカから、日本で最初のLNGが、専用船で東京ガス根岸工場に輸入され たのです。(下図参照) 天然ガス転換のため、東京ガスでは全社をあげて、袖ケ浦新工場の建設、
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