都市ガスはどのようにして安全になったのか?
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まったため、東京ガス管内では、給排気設備の不備が昭和20年代後半~ 40年代にかけて多くありました。ガス事業法に基づいて、昭和50 (1975)年に調査点検をしたところ、当時の東京ガス管内の需要家数 約500万件のうち、設備の良くない家庭が約34万件あると推定され ました。 このため、対象需要家に対して、特別巡回を行い、改善の要請を繰り返し 行いました。その際、当時の村上社長は「ガス中毒事故」をなくすのは、 都市ガス事業者だけではなく、「建設事業者」「ガス機器メーカー」「都市 ガス事業者」の三者間でおこなうべき仕事なのだから、専門の会社を設立 して、対応するよう指示したのです。 そのため、昭和51(1976)年8月に「都市ガス中毒事故」をなくす ための専門会社「東京給排気設備」(その後トーセツに社名変更)という 会社が設立され、活動が開始されました。この会社の株主は東京ガスのほ か清水建設、鹿島建設、三菱地所、錢高組、三菱電機、日立製作所など東 京ガスと関係のある大手の企業でした。 実際の運営は東京ガスが主体だったのですが、新たな専門会社としては この関係業界との連携が必要だったのです。 この業界間の連携は、設備不備を 作らない、新しい流れを作り出し たのです。従来、建物が先行して 施工され、ガス機器の設置があと からになるため、給排気設備不備 が生まれたのですが、関係業界と の協議の結果、新規に建築物を施 工する場合、あらかじめ、設計段 階で、建物とガス設備・機器とが 設計段階で計画、協議し、ガス機器の給排気設備や建物内の換気とかが合 特に、首都圏の東京ガス管内に は給排気設備の不備な需要家が 集中していたので、それを減ら すには抜本的な作戦が必要でし た。 風呂釜の製造、販売、現場施工の 状況を見ると、ガス機器本体を 設置するときに、排気筒の重要 性がわからないまま普及してし

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