家庭でも風呂の使用は制限されていました。 戦後も住宅事情や燃料不足の せいで一般の人々にとって、 自宅での入浴は贅沢であり、 銭湯を利用する状態が続きま した。 その後、世の中が落ち着いて きて、復興が進み、国の政策 による住宅公団などの公営住 宅や民間住宅の建設が促進さ れ、新設の住宅には浴室設置が 標準形になりました。これにより、各家庭でも住宅内の内風呂方式が増え てきたのです。 戦後の昭和20年代は戦前に比べてもガス湯沸器の普及数は少なかった と思われます。 ガス湯沸器はアメリカでは必須のガス機器でしたので、戦後、進駐軍のワ シントンハイツ等では湯沸器とともに厨房用などガス機器は使用されて いたのです。当時、進駐軍の住宅ではガス湯沸器806台、ガス調理器関 係827台取り付けたという記録があります。 その影響もあり、当時のアメリカ人の生活習慣が日本でも定着し、都市ガ ス業界、機器メーカー業界としては、今後はガス湯沸器などガス機器が普 及するだろうとの見通しがありました。 昭和25(1950)年頃から、ガス機器メーカーでガス湯沸器など新製 品が続々と開発されていきました。 当時の環境としては、ガス機器販売は都市ガス会社の販売網が主体とな って普及拡大を図るため、当初のガス機器開発に当たっては、大手都市ガ ス会社が機器開発の基本的な概念設計などを担当した経緯があります。
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