都市ガスはどのようにして安全になったのか?
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② 戦後はひたすら復興へ の指令など、次々と経済が統制されて行きました。すでに昭和14(19 39)年には、鉄鋼などの戦時物資の統制により、ガス機器の製造もでき なくなっていたのです。 さらに戦争が進むと、原料の不足から、需要家は過去の実績から使える都 市ガスの量をきめられ、それを超えると次ぎの月からその分を減らされ るというような厳しい統制になっていきました。 戦争が激しくなるにつれて、統制はますます厳しくなり、電気事業と同じ く、ガス事業者も全国8ブロックに統合されようとしていました。しかし、 この件は敗戦のため成立しませんでした。 昭和19(1944)年には東京ガスも軍需会社に指定され、日本国中が 軍需工場化した感がありました。 昭和20(1945)年には広島・長崎に原子爆弾が投下され、8月15 日には無条件降伏を受け入れ、都市ガス事業者が統合される前に敗戦を 迎えました。 戦争は終わりましたが、日本全体が壊滅状態となり、都市ガス施設もほと んど破壊されてしまいました。そのため全国の都市ガス需要家数は、昭和 16(1941)年の236万件の40%にあたる90万件になってしま いました。 東京ガスでは、昭和20(1945)年の需要家数は約34万件と、昭和 18(1943)年末に最高だった106万件の30%に過ぎませんでし た。 世の中は平和になりましたが、都市ガスの原料の石炭不足はますます厳 しくなり、都市ガスの配給は統制されたままでした。このような、混乱は 昭和24(1949)年の統制撤 廃まで続きました。戦争によって ガス導管が破壊されたので、戦後 はその復旧が最優先だったのです。 都市ガスの漏洩も多く、ガス導管 からの漏洩率は約60%もありま した。つまり6割の都市ガスが漏 れていたのです。東京ガスでは、 昭和21(1946)年3月から ガス漏洩防止総動員運動を始め、 7月までの130日間に5万4千

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