都市ガスはどのようにして安全になったのか?
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০昭和初期~終戦 しかし、都市ガス事業は「報償契約」という自治体との契約があって料金 を1.5倍程度しか上げられなかったのです。その結果、都市ガスを作れ ばつくるほど事業は赤字になり、都市ガス事業者は半分以下に減ってし まいました。物価の高騰も、大正7(1918)年に第一次世界大戦が終 わると鎮静化していきました。 大正12(1923)年の第46回帝国議会で、電気事業法に12年遅れ て瓦斯事業法が成立し、大正14(1925)年に施行されました。 それまでは自由に都市ガス事業者が創設できたので、東京瓦斯と千代田 瓦斯が競合し同じ道路に別の事業者のガス導管があり、導管が2本にな ってしまった、などということもありました。 ガス事業法は公益事業としての地域独占を認めたので、経済合理性が保 たれるようになりました。 その後、大正12(1923)年9月に関東大震災が発生し、丁度昼食の 準備の時間帯で火を使っていた家が多かったため、東京・神奈川の火災に よる犠牲者は10万人以上という大惨事となりました。当時は都市ガス を使う人はまだ少なく、火災の主な原因は、薪や木炭などでした。そうし たことから、火災防止対策としての安全性が評価されるようになったの です。 第1次世界大戦の物価高騰や関東 大震災を乗り越えて、都市ガスの 需要は順調に増えました。 都市ガスの需要家数は、昭和10 (1935)年には10年前の約 3倍、200万件へと伸びました。 ところが、昭和16(1941) 年、またもや世界を巻き込む戦争 が起きました。第2次世界大戦で す。 日本では昭和15(1940)年 には、日独伊三国同盟に日本は調 印し、昭和16(1941)年12月8日、日本の連合艦隊はハワイの真 珠湾を攻撃しついに太平洋戦争に突入しました。 戦時物資の供給基地となった第1次世界大戦とは違い、物資統制令がし かれ、家庭用都市ガスの構成人員別割り当てや都市ガスしよう極力節減

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