০大正時代 ょうか。 その後、都市ガスは、厨房用などの熱源としても使われるようになりまし た。当時の銀座通りのガス灯や大隈重信侯爵家の台所風景などが当時の 錦絵などで紹介されていますが、このように都市ガスの利便性は大衆の 話題ともなり、文明開化の象徴とみられるようになったのです。 その後、厨房用、温水用、暖房用などに、様々なガス機器が輸入され、 一般の富裕層にも使われるようになりました。 明治12(1897)年にエジソンの炭素電球が発明されたことは、日本 の都市ガス事業にも大きな影響を与えることになりました。日本でも明 治19(1886)年に東京電灯会社が設立され、一般配電が始まりまし た。エジソンの炭素電球は、始めは切れやすくて、停電も多く、電気は爆 発するから危ないと噂されたことがありました。 一方、都市ガス業界では、明治30(1897)年から明治40(190 7)にかけて、大阪瓦斯、神戸瓦斯、名古屋瓦斯が相次いで設立されまし た。 白い輝きの白熱マントルを武器としてガス灯が巻き返しますが、明治4 3(1910)年ごろからタングステン電球と呼ばれる新たな電球が出て きて、照明器具としては太刀打ちできず、次第に照明はガス灯から電灯に 変わっていきました。 明治44(1911)年には電気事業法が制定されました。 その結果、都市ガスは厨房用など熱源を利用する方向に進んで行くこと になりました。ただ、電灯への変化はゆっくりとしたスピードで進んだの で日本のガス灯の絶頂期は明治30年代~大正年代の初めごろまで続い たのです。 大正時代に入って、民間や公営 の都市ガス事業者が日本各地に 誕生し、大正4(1915)年 には91事業者に増えました。 大正3(1914)年)に、 1次世界大戦が起き、大正7 (1918)年に終わるまで、 被害をうけなかった日本は、 大戦への戦時物資の供給基地として、空前の好況となり、物価は4倍にな りました。
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