都市ガスはどのようにして安全になったのか?
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② 東京ガス初代社長渋沢栄一の思想 東京会議所はこの命を受けて明治7(1874)年、金杉橋から芝を通り、 当時レンガ街化計画があった銀座通り沿いに京橋まで、85本のガス灯 を立て、同12月18日に東京で最初のガス灯が点火されたのです。 その2年後の明治9(1876)年、都市ガスを主管していた東京会議所 が廃止されたため、都市ガス事業は東京府に引き渡され、東京府が管理す ることになり、東京府ガス局という公営の事業になったのです。 しかし、官営の都市ガス事業は、民間なみの事業運営がうまくいかず、渋 沢栄一などが中心となって努力した結果、ようやく民営化が可能になり ました。 明治18(1885)年東京府ガス局は民間会社に払い下げられて「東京 瓦斯会社」になったのです。これが現在の東京ガス(株)の前身、今から 約137年前のことです。 渋沢栄一は明治9(1876)年東京会議所から引き継いだ東京府ガス局 の局長になり、その後ガス局が民間会社になった時、初代の社長になった のです。 渋沢栄一は、幕末から明治維新にかけて、幕臣として活躍し、その間の欧 州での経験から、官僚となり、さらに実業家へと変身し第一国立銀行や東 京証券取引所の金融関係、多種多様な民間企業、学校、福祉施設など約5 00社以上の設立や経営に関与され「日本資本主義の父」ともいわれてい ます。 渋沢栄一は、大正5(1916)年に 「論語とソロバン」を編集しました。 その中心にあったのは、「道徳経済合一説」 という理念です。幼少期に学んだ「論語」 をもとに、倫理と利益の両立を掲げました。 経済を発展させ利益を得ても、独占するの ではなく、富は全体で共有し、社会に還元 することを説きました。「論語とソロバン」 にはその理念が次のように述べられていま す。 「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳、 正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。道徳 と離れた欺瞞、不道徳、権謀術数的な商才は、真の商才ではない」これは 渋沢栄一がとなえた私欲や私益を捨て、「公利公益」のために尽力せよと

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